生物学的に見れば、マイコプラズマ・ニューモニエは極めてユニークな病原体です。他の多くの細菌と決定的に異なるのは、強固な細胞壁を持っていないという点です。このことが、抗生物質の中でも一般的によく使われるペニシリン系やセフェム系といった、細胞壁の合成を邪魔する薬が全く効かない理由になっています。そして、この「細胞壁の欠如」という特徴が、宿主の免疫応答、つまり発熱の仕組みにも影響を与えていると考えられています。通常、細菌が体内に侵入すると、免疫細胞がその壁の成分を認識して攻撃を開始し、その過程で発熱物質であるサイトカインを放出します。しかし、マイコプラズマは細胞壁を持たないために、免疫系が敵を検知するまでに時間がかかったり、あるいは大規模な炎症反応を引き起こさずに細胞の表面に付着し続けたりすることがあります。マイコプラズマは気管支の粘膜にある線毛細胞に付着し、そこで過酸化水素などの有害物質を放出して細胞を直接破壊します。この直接的なダメージが激しい咳を誘発しますが、それは必ずしも全身性の発熱を伴うものではありません。言い換えれば、マイコプラズマは「局所戦」に特化した戦術を取るため、全身の警報装置である体温上昇が起きにくい場合があるのです。さらに、マイコプラズマは免疫回避能力にも長けています。自分のタンパク質を巧みに変化させて免疫細胞の目を欺き、肺の中でじわじわと勢力を広げていきます。熱なしで進行する肺炎は、こうしたマイコプラズマの隠密行動の結果と言えるでしょう。また、宿主側の要因もあります。特に大人の場合、過去に似たような病原体に接触していると、免疫系が過剰な反応を抑えてしまうことがあります。これが熱の出にくさに繋がっているという説もあります。しかし、熱が出ないからといって、肺組織へのダメージが軽いわけではありません。線毛が破壊されれば、肺の自浄作用が低下し、他の細菌やウイルスによる二次感染のリスクが高まります。科学的にこのメカニズムを理解することは、熱の有無にかかわらず「咳」という症状がいかに深刻な事態を反映しうるかを知る助けとなります。体温計で異常が見られないからといって、肺の中で起きている分子レベルの破壊を見逃してはなりません。咳が長引くという現象は、マイコプラズマが粘膜の上で着実に陣地を広げている物理的な証拠なのです。